スノパンとは
  スノーパンサーとは、京都大学公認の基礎スキーの同好会です。現在総勢約50名で活動しており、引き続き新しいメンバーを募集しています。また、スノーパンサーは関西学生基礎スキー連合(以下関デモ)という23大学(25チーム)が集まった団体に所属しています。詳しくは新入生への「スノーパンサーQ&A」をご覧ください。
スノパンの歴史

■創設時期

スノーパンサーの創設と言えるのは、今からおよそ40年前の1972年2月頃です。当時、写真部の同期だった笠原さん、山本さん、岩越さん、その他数名でスキーに行ったのが始まりだそうです。 スノーパンサーのメンバーが栂池の喜多見荘 に居候させてもらうようになったのもこの年のことです。岩越さんの紹介がきっかけだそうです。

■スキーツアーの始まり

翌シーズンつまり1972年12月に第一回のスキーツアーが始まりました。現在のスノーパンサーは合宿や大会、居候が主な活動で、スキーツアーというものは行っていませんが、当時は大会にも出ておらず、関デモという団体もありませんでした.そういった中でスキーツアーは当時の大きなイベントだったようです。
スキーツアーというのは、スノパン以外の人を勧誘して大勢でスキーに行くことです。他大学などでビラを撒いて、いわゆるお客さんを勧誘し、宿・バスを手配し、さらに宿にも一緒に宿泊します。 現地ではスキーのインストラクターとなり、一緒にスキーを楽しみました。この当時、京阪神ではこのように一般の学生がスキーバスを出すのことはめずらしく、おそらく、同好会ではうちが最初だったとのことです。 ツアーの目的の第一は、スキーを教えることにより、スキーの運動操作の基本原理を習得することだと当時の会報には記述されていますが、第二の目的はサークルの運営費を稼ぐことであり、第三の目的は女の子との出会いであったように推測されます。(間違っていたらすいません)

■クラブ名の決定

翌1973年にはクラブ名として現在の「SNOWPANTHER」が決まりました。 ちなみにスノーパンサーの略称は現在では「スノパン」ですが、このころは「パンサー」と呼んでいたようです(いつ頃変化したのかは不明)。
この年には、古川さん、長谷川さん、西藤さん、藤岡さん、高杉さんがメンバーに加わりました。ツアーの方も1972年には15名だったお客さんが82名にまで増え、バス2台で栂池まで行く大規模なものとなりました。

■岩岳大会への参加と居候の始まり

岩岳大会に最初に出たのは、それからおよそ10年後になります。野村さん、上田さん(1981年入学)の代、つまり1983年度の大会からです。 また、この年から現在の居候という形式がスノーパンサーに導入されました。当時2回生だった滝川さん(1982年入学)がやまびこ1代目だそうです。

■関デモに所属

関デモの大会は今年度(2016年3月)で第38回目を迎えますが、スノーパンサーが参加したのは1985年の第7回大会からです。この年細川さんが男子新人戦で優勝されました。


上記の文章は、お世話になっている山荘やまびこに残されていた昭和57年度のスノーパンサーの会報(文集のようなもので、 中には当時の現役生と当時のOBOGの方々からのコメントがあり、その中にはスノパン創設の経過やエピソードなどが載っていました)を基に、筆者が様々な人から聞いた話に意見を加えてまとめなおしたものです。
なお会報を書かれた方々とは全く面識もないため勝手に引用させて頂きました。また名前は性のみですが実名で記載しました。 もし問題があればお手数ですがこちらまでお知らせください。当時のエピソードなど情報をご連絡くだされば幸いです

以上の「スノーパンサーの歴史」はスノーパンサーOBである宇野さん(97年度入学)が製作された文章をもとに製作しました。